アワの岩戸開き

女性性の活性化による優しい社会の創造

人生長く生きてると枠ができちゃうよね

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上記の投稿について
FBのお友達のサイトでいろいろ意見交換をした。

そこで感じたのは
生徒側(その親かも?)からすると
「なにこれ?」という言葉の意味
つまりは
【なにこれ?】という言葉にくっついてしまっているレッテルに反応しているな、ということ。
これまで生きてきた人生の中で
こういう条件下で使われる【なにこれ?】に
あまりいい印象を持っていないのだ。
(ここまで書いてきて、私もそうだということに気づく。なんかイラッとするよね。)

そして【なにこれ?】という言葉を使ってしまった先生側にも
枠があることを感じた。
表向きの理由は
まだ習ってないことだから。
もちろん学校内の試験なのだから
その意図するところは
先生側が今まで教えてきたことがちゃんと生徒に理解されているか?の確認なので
その主張は正しい。

それをちゃんと文章で説明すればよかったのに
【なにこれ?】で表現したところに
幾ばくかの悪意を感じる。

習ってないこと、僕知ってますよ。頭いいんですよ。アピールかよ。自慢かよ。
試験はな、正解することが全てじゃないんだよ。
自分は理解してますって限られた答案用紙の枠で表すのがその醍醐味なんだよ!

って気持ちを感じるんですよね。
もしかしたら日頃から
そのような言動が目立っている生徒なのかもしれない。

これはあくまで私の想像ですし
これこそが私の【なにこれ?】という言葉に対するラベル、枠なんですよね。

ラベル、枠がなかった頃の自分にたち戻ってみると
物事の道理や真実については
大人である教師よりわかっていたという記憶があります。
でも立場上、アドバイスなんてできないし
自分のほうがわかってるって自信もない。

そんなときに
この教師との間に違和感を感じているときに
親に繋いでほしかったなぁと思いました。

子供には
先生の想い
つまりは今まで習ったことを理解しているか
解りやすく伝えて欲しかったんだよ、と。
先生には
習ったことを理解しているから掛け算が使えること、そして、試験の意図するところはちゃんと子供に伝えたことを話す。

そういった親の行動から
人生における人間関係の基盤は
信頼と思いやりであることを
子供がかんじてくれたなら良いなぁと
思うのです。

でも極論を言ってしまうと
人間関係の基盤は信頼と思いやり
っていうのも枠です。

【なにこれ?】についているレッテルに気づき
一回それをぶち壊して
枠がなにもない子供の頃に立ち返り
この出来事の本質を純粋に感じ直して
もう一度
本来の自分にピッタリとフィットする枠を
創り直す。

そうやって自分らしい人生は
デザインされてゆくのだと思います。

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